ふにゃふにゃのボクの優しさと、俺の優しさの違い。
君が幼い頃から心に持っている“その優しさ”ってのは、ほっといてもいいけど、、情けないもののままでは魅力とはならない。
その「優しさを考えながら育てること」で “本物の強さ”を併せ持てるようになる。
これが俺の言う「優しさの“強さ”」だ
大人になり、歳の差がある場合は特に相手に合わせてあげられる「歳相応の優しさ」ってのがある。
期待された優しさを与えられるかどうかが肝心だ。
ここに来るくらいのお前に話すには、もっと具体的に説明してやらなきゃわからないだろうなァ
要するにお前が年上の人と一緒にいる時に期待することを、年下は望むものさ。
お前たちが先輩や上司に求めるものを、部下や後輩たちはお前に期待しているんだよ。
当然わかるはずだよな?
逆に「自分がそれを求めなかったから、求められても困る」というのは違うぞ。
「自分の時はしてもらっていない」なんて言わずに、いいと思うなら、与えられるなら、あげればいい。
一般的には期待するものだと考えておいたほうがいい。
だがな、かといって「ただ期待に応えりゃいい」というばかりではないぞ。
その相手の状況や状態をみて、甘やかしになってしまうだけなら、もう一つの優しさを添えることも考えてあげられるだろうからな。
“ 何が目的 ”で、「何ができるか」を常に考えてあげ続けることが大切だ。
とにかく、それができる・できないの前に、どうするのが一番理想的なのかを知ること、目指すべき理想が自分を作る目標になる。
さてと、話を戻して。
人が生まれた時に持っている優しさが“ふにゃふにゃなもの”だとしたら、、身体だけが大きくなって成長しても、分かるよね?
「いい人なんだけどねぇ..(頼りない)」とかな。
そう、心の成長が本物の男になる鍵を握る。
たとえば「見守る優しさ」ってのは、見てるだけしかできない人の言えることではないからね。..何が言いたいのかわかるよな?
優しさがふにゃふにゃのままでは戦えないし、自分自心に対しても“ふにゃふにゃの優しさ”のままでは…自身を律することができない場合が多く、伝わるものはあっても、伝えること(教えること)ができない場合も多い。
でも多分きっと、ここに来た君は違うよな?
信じてるぜ。
おっと、もうひとつ大事なことを言い忘れてた。
若いうちはアピールが強すぎて、望まれていないものを押し付けることがあるが、押し付けることのないように与えるのが…大人の優しさだ。
ちゃんと分かったやつだけ、コッチへ行け。↓
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